「電源抜いちまうかもう」

だって戻れない。嗚呼。帰れない。嗚呼。時限式カラミティ。

2期14話 感想ざっくりまとめ

ちょっとまだ整理できてないけど

  • ライジングではまず自分を客観的に理解できてなかった
  • ダヨン族→手紙では自省した上で心情を吐露して立ち上がった
  • 今回は客観視できてなかったが現実を突きつけられ、その上でズルい逃げ道を選んだが、非を認め謝罪した

という印象なのだよな。

なので

  • 他者からの指摘で客観視が可能になった
  • 一度は逃げたが現実逃避はせずに一応向き合った(全裸謝罪)

から、言うほど刺されてしぬのを見て苦しむ回では
なかったんじゃないかなーと。個人的には。
ただ「成長を許されない」宿命を背負った
クズアニメの登場人物として、この先の道が気になる。

私にとって三男事変でなぜ「いたたまれなさ」より
「面白さ」が上回ったかを考える時に、
久しぶりに「松野チョロ松は傷つかない」というワードが出てきた。
ただし1期の時のそれとは変質していて、
彼は今回は「気づかされた上で、いなして、そして反省した」のだと思う。

彼は今回追い込まれ揺さぶられたか、というと、
いや最高に追い込まれて揺さぶられたんだけど、
「嘘」と「謝罪」という、自分の手の届く方法で解決しているんだよね。
それは自らの痛みと暴力性に気づけなかったライジングや、
逃避を選択するしかないと泣き喚くダヨン族より、よほど成長しているのでは。

チョロがなぜ弟松を呼び出したかは、
ライジング冒頭の「アイドルのファン辞める」とわざわざ言いにいった
そのそれに近いのではないかと思います。
ただ、ライジングでは紅に対してチラッチラッだったのが、
今回はもう実行後だったのがこんな結果を招いたのかと……
えっ、書きながら気づいた。
チョロちゃんチラッチラッしないでちゃんと行動に移したんだね!
行動に移したのが正解かはわからないけどね!!!ああーーーー!

チョロの全裸土下座はあくまで
「嘘をついて弟松たちを冤罪で貶めたことについて」への謝罪であって、
茶髪が似合ってないことに対して
弟松たちに気を使わせたことを謝ったとかでは全然ないと思う。
むしろ「なんか好み分かれるみたいだけどお前らは評価してくれるよな」
くらい思ってても不思議じゃない。

チョロ松くんのあほかわいいところは、
私服の一張羅のネルシャツはそのまま
で髪だけ茶髪にしてイケてる男になれたと思ったとこ。
しまむらのお花ワッペン子供服着てるのに首元にチョーカーだけつけて
イケてる女になったと思っていた中学生時代の私を
彷彿とさせるやめろ傷をえぐるなでもチョロならかわいいからゆるすとうとい

なんだかんだでカラ兄には勝てない(そもそも勝つってなんだろう)
チョロさんかわいいよね。
自分に価値がある前提でそれをどう輝かせられるか考えて振る舞うカラ兄と、
自分は劣っているという前提で
取ってつけた変化で価値を上げられたと考えるチョロさん。

カラ兄は自分に価値がある前提で
それをどう輝かせるか考えて振る舞うから、服装やアクセで着飾る。
チョロさんは自分は一般水準より劣っているという前提だから、
ガワ(一張羅ネルシャツ)はそのままで髪を変えるという手段に出た。
「自分」を変えたかった。

カラ兄はちゃんと雑誌読んで研究して、
他人とズレていたとしても「自分が美しいと思うもの」を選択する。
努力して勉強する。
チョロはお前、参考書買っただけで満足するタイプだよな。
お金出してひとつ何かを得ただけで
すべてがうまく回るようになると思ってるとこあるだろ。

彼らが人間として成長してしまったら、物語の根幹を成す問題部分も、
キャラクターを作品の舞台に留める理由もなくなってしまう、と
1期24話で示唆されたので、
彼らの生活を覗き続けたいと願うことはつまり、
彼らの挫折を願い続けることだという、
メタ的なジレンマを抱えているんだよな松オタは。
松が続く以上、外界からの承認を渇望するチョロとトドは、
彼らの望む「幸せ」には辿りつけない宿命なんだよな、としみじみ思う。

しかし三男事変、勘違いコントとしての構造も最高に上手かったよなぁ。
カラ兄の「間違った前提を元に精一杯フォローすることで
逆に余計に追い込んでしまう」
「神の視点を持ってる(=事実を知ってる)視聴者は
その可笑しさに気づける」というの
ホントうまかった。善意の優しさが全部破滅につながるの最高では。

おそ松が、一松事変で一松をカラ松として扱ってあげたのが
「優しい嘘」だったとしたら
チョロ松事変でチョロ松の茶髪を
弟たちの仕業ということにしてあげたのもまた
「優しい嘘」なのだろうなあ。

「真実を把握した上で、客観的現状を伝えつつも
現実逃避の逃げ道を与える」おそのパスは
ずるいなぁと思うし、ああ速度だなぁと思いますが
私はチョロちゃんを抱きしめて
「うんうんダサいかもしれないけど私は好きだよ」って言ってあげたいので
夢女子的にもオールオッケーです。

栄太郎の時に、あの場に兄松がいると不条理にツッコミを入れて
成立しなくなってしまう的なコメント(ちょっとニュアンス違うかも)を見かけて
納得みあったけど、今回の弟松見てたらわかりみが倍増した。

二次創作だと「なにその茶髪ダッサ!」て
真っ先に言いそうなイメージのあるトドちゃんですが、
これが公式なんですよね。
やさしい子だよ。とうといねえ。とうといねえ。
逆に言うとカラ兄にはバッサリ言えるあたり、バディ感があってそれもとうとい。

トドちゃんの立ち振る舞いに関しては
いま掘り下げる心の余裕がないのだけど、
なんだかんだで彼は優しい子だと思うし、
「外界への関わりかた」に対する勇気と姿勢において、
チョロにはシンパシーとちょっとの尊敬と
少しの生暖かい目を持っているのではと感じています。だからこの2人すき。

自分にないものを持ってるのはわかるけど
別にそれが羨ましくもないしでもたまに眩しくて
そして危なかっしくて放っておけないというトド→チョロが好き。
兄弟感がつよい。
(ちなみにそれを「恋慕」にしてしまうのは、私はちょいと解釈違い)

松ってほんとに「にんげん」だよね。
自分はこうだ!と感じたものでも、
違う見方をしてる人がいる。たくさんいる。
魂の片割れだと思った人ですら、違う世界を見ていたりする。
人によって拾う仕草も言葉の解釈も違う。おもしろいね。
だから松が好きだなー!私はみんなに会えて嬉しいよーーー!

おっそにいにが わかってたかわかってなかったか議論、
わかってないおそにーは
やや解釈違いだからわかってたと捉えてた自分に気づき、
なんだ「公式が解釈一致やったー!」と言いながら、
見たいように見てるだけじゃねーかって自分に笑えた。
でもたぶん、その底の見えなさがおそにーの魅力なんだろな。

いまちょっと腑に落ちたから言語化するけど、
実松内のチョロの「俺」って、チョロ松の「俺」じゃなかったんだよな。
彼は一人称として俺と言うこともあるけど、
でも松野チョロ松ならば
そこでは「俺」とは言わない、と思わせる何かがあった。
たぶんホンも演技も演出も巧妙に絶妙な違和感を与えてきてる。

それにしても色々吹っ飛んで忘れかけてましたが
新OPのチビ太めちゃ良くなかったですか。
かわいかっこいとうとい。グッズ化してほしい。